高齢出産の体験談

32歳で結婚と、結婚自体が少し遅かったことに加え、主人がしばらくは夫婦二人でいろいろ楽しみたいという考えだったため、しばらく子供を作らずにいました。2年ほど過ぎた頃、学生時代の友達に次々と赤ちゃんが生まれ、なんとなく私も…みたいな気持ちになりました。でも、まだまだ二人で遊びたい様子の主人になんとなく流されているうちに35歳に。実家の母からは授かり地蔵の情報が沢山送られてくるし、友達は気を使って赤ちゃんの話はしないようになっていました。

 

そこで一念発起して、主人に高齢出産の年になってしまったこと、子供がぜひ欲しいこと、高齢出産にはリスクもあるができるだけ回避できるよう努力することなどを、切実に訴えました。主人も協力してくれ、無事妊娠。でも、妊娠検査薬で妊娠が分かったとたん、猛烈な不安に襲われました。というのも、私は若い頃生理不順で産婦人科を受診した際、子供ができにくい体質で、できてもちゃんと育つかどうかわからない、とまで言われていたからです。今まで気にしないように目を逸らしていましたが、それを医師に言われた時のショックは、主人にも打ち明けられずに私の中にずっとくすぶっていたのです。

 

妊娠が分かって、とにかく自分の不安を何とかしなくてはと思い、主人やお世話になる産婦人科の先生に、独身時代の診察結果を全て聞いてもらい、再度一通りの検査をしました。妊娠しにくいと言われていたのが妊娠できたのだから、あとはちゃんと妊娠を継続すればいいだけです、と医師に言われ、どれほど勇気付けられたことか。でも、妊娠期間中、流産と早産には本当に気を使いました。流産の危険は免れたものの、7ヶ月目で切迫早産になってしまい、出産まで病院で過ごしました。それでも予定日2日過ぎで陣痛が起こり、微弱陣痛で促進剤を使いましたが、最後は無事赤ちゃんを自然分娩で産む事ができました。高齢出産でもできにくい、育ちにくい体質と言われていても、何とかなるものなんだ、と今はとてもほっとしています。

高齢出産が大変なことだなんて、これっぽっちも考えてもいませんでした。というのも私は学生時代からスポーツ全般大好きで、社会人になってからもテニスサークルで毎週のように練習と大会に明け暮れており、体力にだけは自信があったからです。職場の同僚だった主人と結婚したのは28歳でしたが、二人ともテニス仲間との付き合いのほうが楽しく、また共働きということもあって子供は先延ばしにしていました。

 

特に子供を作ろうと思ったわけではなく、思いがけず妊娠が判明したのが36歳。初めて産婦人科の門をくぐり、妊娠を告げられましたが、最初の診察でなんと子宮筋腫が見つかってしまいました。ごく小さいものだということで経過を見ることになったのですが、妊娠しているのに大丈夫なのか、赤ちゃんに影響はないのか、そればかり気になるようになってしまいました。健診の度に、筋腫が大きくなっておらず赤ちゃんがちゃんと大きくなっているか、と、そればかりを先生に聞いていたように思います。

 

仕事も続けていましたが4ヶ月目でお腹に痛みを覚え、驚いて受診すると切迫流産とのことで、自宅安静を言い渡されてしまいました。理解のある職場だったので、そのまま産休に入ることになり、幸い流産は免れたものの、その後もいつもなんとなくお腹が張っているような気がして安心できませんでした。毎日気を張っていたせか、安定期に入る頃には重度のマタニティー・ブルーに。自分の体力を過信していたことをすごく後悔したし、何もせずにただ安静にしているだけの生活にも、疲れてしまったのだと思います。何もやる気が起きず、主人を会社に送り出してからずっと横になっていることも多い日々でした。それでもいいんだよ、と主人は言ってくれましたがその言葉すら素直に受け止められなくて、何もしないでいることのつらさがあなたには分からない、と主人の前で大泣きしたこともあります。

 

6ヶ月目を過ぎた辺りから徐々に動けるようになってきて、気分も持ち直しましたが、それまでは本当に人生で一番つらい時期だったかもしれません。流産の危険を脱しても、今度は早産の心配をせねばならずあまり気楽にはできませんでしたが、妊娠後期に入ると開き直りの気持ちも出てきました。なんとか臨月まで妊娠を維持する事ができ、筋腫が子宮頸部にあったため緊急帝王切開での出産になりましたが、無事女の子が生まれました。

2年間の不妊治療の末、38歳で妊娠しました。妊娠が分かった時はうれしくて涙が出ました。流産の心配もありましたが無事22週をすぎ、安定期に入るとマタニティー用品やらベビーグッズやらで、家の中があふれかえるように。うれしくて主人と二人で必要かどうかも考えないでベビーの洋服などを買い続けました。

 

高齢の為、むくみや高血圧には注意が必要でしたが、特に問題もなくその後の妊娠期間を過ごす事ができました。検診のたびにお医者様から「順調ですね」という言葉をいただき、とてもうれしかったです。もっとも、幸せ気分でつい食べ過ぎて体重管理はいつも注意されていましたが。妊娠後期に入ると本当にお腹が重くて、立っても座っても息をするのが苦しいくらい。でも、安定期以降の経過が思ったより順調だったことから、出産はぜひ自然分娩で産んでみたいと思うようになりました。

 

そこで、主人と相談して安産の為にできることに取り組みました。毎日20分のウォーキングの他に、骨盤体操10分、腹式呼吸の練習5分、猫のポーズなどのストレッチ10分と、お腹の張り具合と相談しながら続けました。妊娠前から末端冷え性だったこともあり、お風呂上りに主人にお願いして足裏マッサージを10分くらいしてもらいました。母直伝の「豆ひろい」もやりましたよ。ビー玉でしたが。部屋にまいたビー玉をお腹を圧迫しないように垂直にしゃがんで拾うので、足腰を鍛えるのによかったと思います。でも、この「豆ひろい」は今は賛否両論あるそうなので、あまりお勧めはできませんね。

 

精神面でとても役に立ったなと思うのが、安産のイメージトレーニングです。赤ちゃんが順調に産道を潜り抜けてくるところを、何度もイメージしました。安産のためにいろいろ取り組んだせいか、いざ陣痛が始まった時は、自分でも驚くほど落ち着いていました。イメージトレーニングと併せて出産の流れを暗記していましたので、次にどうすれいいか、分かっていたからです。無事男の子を自然分娩で出産する事ができ、お医者様には「20代の人のお産と変わりないよ」とうれしい褒め言葉をいただきました。出産に立ち会った主人は「長い分娩の間中、泣き言一つ言わないでがんばっている姿に感動した」と。高齢出産だって、取り組み次第で安産できますよ。がんばってくださいね。

予定日の5日前の朝、お腹に違和感を感じて目が覚めました。ゆっくり起き上がると、突然何かが大量に流れる感触がしてびっくりしました。出血!?とどきどきしながらトイレで確認すると、透明の液体でした。最初は、膀胱が圧迫されて起き上がった拍子に尿が出てしまったのかと思いましたが、なんとなく匂いが違ったので、病院へ連絡して受診することに。すると破水だということで、そのまま入院しました。

 

入院してもしばらく微弱陣痛の状態が続き、焦りました。弱い痛みがあるように感じるのですが、いきみ逃しをしなきゃならないような痛みは、なかなかきませんでした。子宮口もほとんど開いていないとのことで、あまり時間がかかるようなら陣痛促進剤を使うか、それでもだめなら緊急帝王切開で、ということになりました。

 

緊急帝王切開はできれば避けたかったので、促進剤を使うことに抵抗はありませんでした。破水しているのに、いつまでも産んであげられないままでは赤ちゃんが心配だったので。まず、子宮口を広げる為にバルーンを入れました。これは結構痛かったです。それでも陣痛は弱いままだったので、促進剤を投与されました。しばらくすると、それまでなかった強い痛みがきました。

 

最初の痛みは突然だったので、「いたっ!いたい、いたい、いたーい!」なんて叫んでしまいました。痛みが引いた後も心臓がバクバクしていました。「これが本当の陣痛か」と呆然としていると10分後くらいにまた激しい痛みが。「促進剤は効きすぎる」と聞いた事があり恐怖がよぎりましたが、助産師さんにいきみ逃しを促され、ようやく陣痛→いきみ逃し→休憩という、陣痛の本来の状態に入る事ができました。

 

すぐに5分間隔の陣痛になり、4時間後に無事出産できました。出てきた赤ちゃんは随分赤黒い感じに見えました。だいぶ酸欠の状態だったそうです。でも、元気に産声を上げてくれて、感動しました。早めに促進剤を使って産んであげられて、本当によかったです。

妊娠が分かる前から、子宮頚管無力症が疑われていました。それまでに2度、突然子宮口が開いてしまったことによる流産の経験があったからです。今回の妊娠で、超音波検査で子宮頚管無力症と診断され、早めに子宮頚管を縛る手術を受けることになりました。3度の流産を待たずに手術を受けることになったのは、36歳という私の年齢が考慮された結果だと思います。16週目で手術を受け、無事に妊娠を継続する事ができました。

 

3回目の妊娠で始めて流産の時期を越えることができ、本当にうれしかったです。このまま臨月まで無事にお腹の中にいてくれるものとばかり思っていたのに、30週目の健診の時、切迫早産と診断されてしまいました。羊水も少量だけど流出しているとのことで、入院して絶対安静の体制に入りました。まだ赤ちゃんは1500gになるかならないかの状態で、今生まれてたらNICUだと思うと、どうして私だけが、と涙ばかり出てきました。

 

お腹の張り止めを点滴しながら36週までの1ヶ月半、病院で過ごしました。とにかく絶対安静だったのでつらかったですが、赤ちゃんを元気に産んであげるための、最後のがんばりだと自分に言い聞かせ、何とか乗り切りました。主人や実母、親しい友人が何度もお見舞いに来てくれたり、主人と赤ちゃんグッズのカタログを見て注文してもらったりして、少しでも気持ちを前向きにできるよう、がんばりました。

 

36週目に入る日の朝、赤ちゃんが充分成長したということで張り止めの点滴を外しました。いつ生まれてもいいということでしたが、陣痛より先に子宮口が開いてしまうのではないかとどきどきしていました。次の日の朝、陣痛が始まり子宮頚管の抜糸をしました。すぐに子宮口が全開になり、分娩室へ移動し、1時間くらいで2365gの女の子が無事生まれました。流産を経験しているだけに、うれしさはひとしおでした。子宮頚管無力症で、2度も流産をしたけれど、高齢出産の年齢になって臨んだ出産で、ようやく元気な赤ちゃんが私のところに来てくれて、本当に良かったです。

41歳で待望の赤ちゃんに恵まれました。最後まで逆子が直らずに帝王切開でのお産でしたが、無事に生まれてくれて本当に感謝しています。高齢での出産だったため、里帰り出産という選択肢は全く頭にありませんでした。産後も、闘病中の祖父を抱える実家に帰ることはせず、主人と二人でがんばるつもりでした。

 

思いがけず退院後、主人のお母さんが手伝いに来てくれて、約2週間は家事をせずに過ごせましたが、その後いよいよ子供との生活が始まりました。3時間おきの授乳、泣いたらだっこ、おむつ替え、ベビーマッサージなど、最初のうちは順調に過ごせていたように思います。主人が沐浴をやりたがって、二人で取り合いをしていたくらいです。家事も随分手抜きしましたが、主人は全然文句を言わず、助かりました。主人も私も赤ちゃんに夢中で、家事なんて二の次三の次でしたね。

 

昼間、赤ちゃんと二人で過ごしている時、赤ちゃんがすやすやと寝息を立てて呼吸をしていることが奇跡のように思えました。ついこの間まで私のお腹の中にいたこの子が、今は一人前に息をしているなんて…。寝息を聞きながらいつも一緒に寝ていました。1ヶ月くらいで段々と表情が出てきて、初めて笑った顔を見せてくれた時は、もう、かわいくてかわいくて。寝返り、お座り、はいはいと、どんどんいろんな事ができるようになっていく我が子の様子を、帰宅した主人に大イベントを話すみたいに報告しました。

 

つかまり立ちができるようになってからは、思いがけないいたずらをしてくれましたね。ソファに掛けていたカバーはいつもぐしゃぐしゃにされるので、取る事にしました。7ヶ月過ぎの頃、つかまり立ちで上のほうにある人形をとろうとして背伸びし、ひっくり返ってしまった事があるんです。後頭部を打ったので、心配になって救急病院に駆け込み、CTをとってもらいました。何の異常もなく、今思い出してもちょっと慌て過ぎだったな、と赤面してしまう出来事です。

 

無事に1歳の誕生日を迎えて、夢中で子育てをしてきたこの1年を振り返って、いろいろなハプニングや驚き、戸惑いはありましたが、楽しくてしょうがなかった記憶しか残っていません。正直、自分が子供にこんなに夢中になるなんて思っていませんでした。段々とすることがダイナミックになってきて、目を離せなくなってきた今日この頃ですが、まだまだ子育てを楽しみたいと思っています。